47歳女性高校を知ってる友達のいない学校へ行き回復環境ですね

47歳女性 
これは幼稚園から始まった出来事と今気づいた私です。
幼稚園の時食が細い私はお弁当が食べれなくて登園拒否をおこしました。
その時お母さんと離れるのがいやだと言っていた自分、お弁当が食べれなくて残してしまう不安からいけなかったんだと、私は小さいながらも頭を使い先生が見いないときにおにぎりを転がして先生落とした!
じゃあ先生は横によけといて、それで幼稚園は乗り越えました。
なんとなーく行ってた小学校友達が出来ない!
朝起きて学校へ行く用意をしていてもしんどくてゴロゴロし学校へ行けない日が続く。
友達が出来ても仲良くなった瞬間転校していくのが続き友達を自分からはつくれなかった。
学校へ行って帰ってきても訳がわからずずっと泣いていた私!
言葉で伝えれないからずっと泣いていた低学年。
正義感が強い私は小6のころいじめられてた子をかばい、二グループに対立修学旅行の時にはこけて私が膝を擦りむいたのを一人の子っが保険の先生に言いといったが拒否をした私、その子は泣いてしまい先生に私が怒られた、何故怒られたのかが全くわからずそこで感じたのは「泣いたら勝ち!」今度からそうしよう!その時私は修学旅行や林間学校は絶対行きたくないとトラウマになった。
中学へ行きやはり友達ができず、いじめられている子をかばったら今度は私がやられるようになり、殴る蹴る、体育の時間中にカバンや教科書がなくなり教科書は落書きだらけでごみ箱に捨てられ、かばんはトイレの便器でした。
親は必死でうちの子は悪くないと言ってくれたが私自身もう学校が怖くて行けなくなった。
修学旅行も行きたくないと思っていたら高熱がで、修学旅行終わるまで熱は下がることがなかった。
今考えると私は発達障害だったんだ多分・・・
適応障害・コミュニケーション障害
そのころには、まだ発達障害という言葉自体存在していなかった。
精神科はあっても心療内科や・児童精神科は無く親も知らない。

高校は誰も友達が通ってない学校へ行き心機一転通ってみたら友達いなくても普通に話は出来る子がいてたので学校へ通うことができた。
みんなも大人になってきていて関わり方が上手だったんでしょうね。

後悔はただ一つ、発達障害の為大人になって家庭を作ってもいつも同じことで家庭崩壊になり負のスパイラルで社会生活が繰り返し上手くいかないこと。

とにかく、親がまず子供の様子に気づいてあげること
親がコドモノ味方を全力でしてあげること
そして最後に病気じゃないと思うかもしれないですが児童精神科を受診してみましょう!
そこで少しは子供も楽になる、親も子供の環境を整えて上げれる