32歳女、学校を変え不登校から回復 不登校の自分も好きになる

私は現在30代前半の女です。
16歳のとき、通っていた高校に行けなくなってしまい、保健室登校を経て不登校になりました。

学校に行けなくなった、教室に入れなくなった理由は言葉にしてはっきりと説明することはできなかったし今もできません。ただ、「行けなくなくなって体も拒否するようになった」としか表現できないのです。心の奥底が学校という社会を拒否していました。そして体もそれを受け付けず、朝になると体調不良にも見舞われました。

学校に行けなくなった初日、母はとても混乱し怒っていました。のちに「あれは自分でも初めての経験だったのでとても戸惑っていた」と母は言っていましたが、「逃げるな」と怒られたことは今でも忘れません。私にとって学校に行けなくなったということは、これ以上学校に自分を向かわせると自分が破綻してしまうというゆえの自己防衛だったような気がします。

そして不登校期間は半年続きました。最初の方は担任の先生からも電話がかかってきたし、それも辛い思いでした。そして不思議なことにこの辛さを「悩み相談センター」のようなところで吐き出すと体の調子が悪くなったのです。本当に、私は心も体も疲れきっていたんだと思いました。そしてその頃母にすすめられて心療内科に通い、カウンセリングも受けるようになっていました。

不登校が半年以上続いた頃、それまでは学校というもの自体を拒否していた私が「また学校に行きたい」と思うようになりました。
不登校になってしまったけれど、この高校には「たくさんの人と出会いたい」という理由で受験し入学したのです。人と関わるのが好きだというのが根底にある私は「このまま不登校を続けて引きこもり、誰とも関わらないのは辛い」と思い始めてきたのです。
なので「また学校に行きたい」と母に伝えたときには母は泣いて喜びました。

ですが私はもう、今の高校に復帰することは困難だと思っていました。1度だめだとシャッターをおろしたところに再び赴くのは自分の性分上無理だと思ったからです。なので一から学校を探し始めました。

フリースクールと呼ばれるようなところに行って話を聞いたり資料を請求したり、また公立の定時制高校なども調べました。
フリースクールはやはり授業料が高額で手が届かず、私は最終的に県内の単位制高校に入学し直すことに決めました。お金のこともありますが、はっきりと「高校」と呼べるところに身を置きたかったのだと思います。

決めた後は受験勉強に励みました。そして晴れて合格し、1年遅い高校生になったのです。
久しぶりの勉強はとても面白く、学年内でもトップクラスの成績をおさめました。1歳離れているけれど友達ともうまくやれ、適切な場所にいればちゃんと実がなることを知りました。そして後日談にはなるのですが、前の高校で馴染めなかった理由に精神の障害と発達の障害があったことを知りました。思いがけない発見でしたが、それで今適切な治療ができているので良かったのだと思います。

今不登校に苦しんでいる方には「その場所だけではない」ということを伝えたいです。苦しんでいる場所以外に、あなたがあなたらしくいられる場所はきっとあるはずです。絶望しか今はないと思いますが、時期が来たらきっとあなたも羽ばたけるはずです。今はその準備期間だと思って、少しでも肩の荷をおろしていただければ…と思います。

その場所が合わないだけで、自分らしくいられる場所はちゃんとある。そして苦しみもがきましたが、人の痛みが分かるような、人間として豊かな心を得られたと思います。
私は不登校だった自分も好きだし、大切な期間だったと思っています。