不登校になった私を支えてくださった先生

わたしは小学校の中ごろから同級生の毎日行われる言葉の暴力および遺伝的な問題により学問への理解が及ばず不登校になった三十代前半の女性です。このままではいけないと思った私は言葉の暴力に耐えられず数年後、この現状を回復させる為に原因である同級生が行う言動を連絡帳に書き綴り教員に助けを乞い、結果学級会での話し合いになり以降の言葉の暴力は無くなりましたが、それでも遺伝的な問題でいくら努力しても指の隙間からこぼれる砂塵のように部分的に身につかない勉学に頭を抱えていました。国語の漢字の読みは覚えられても何百と書き取りをしても漢字が頭に入らず、数学の数式も何度も反復してもおぼえられない。遺伝的な問題だと知らなかった当時は心の底から悩んだものです。ほかの教科は勉強すればするほど身に付き、自覚のない得手不得によるものなのだとうかと首をかしげたものです。中学校に入ってからの先生が非常にやさしいかたで、不登校になって数日でまずは不登校教室から通ってはどうだと声をかけてくださり、すこしずつ学校に通い復帰の道を歩める機会をいただきました。これでようやく全うな人生が送れるかもしれない、よかったと安堵したのを覚えています。若い英語の先生で、いつも笑顔で笑いかけながら勉学の本をかしてくださったり図書館に連れられ感想を聞いてくださったり、孤独を感じないよう配慮してくださり人に対する恐怖も軽減し自発的に他者と会話することが苦にならなくなっていきました。修学旅行にも参加させてくださり、そこではじめて中学の同級生と交流を持ちました。みな良い子ばかりで自分は今まで何を恐れていたのだろうと認識を改め、頭に入らずともこの人たちと学びたいと教室登校にさそわれた時に喜びいさんで不登校教室を飛び出しました。ですが当日は足がすくみ、授業中の教室のまえで蹲ったあと不登校教室に帰ってしまいました。恐ろしさのあまり、なにもできなかった自分を未だに悔いています。そのまま卒業したのですが、校長室で校長先生に卒業証書を手渡され振り返ると英語の先生が顔を赤くし泣きはらしてらっしゃったのが今も脳に焼き付いています。たくさん心配かけたのだ、迷惑、苦労をかけてしまったのだという気持ちとただただ感謝を覚えました。高校には入学できないと思っていたのですが不登校用の学校があり、そこに入学し同じ体験の子ばかりだったので怖い事もなく互いに互いをおもいやる環境で不登校がなくなりました。勉学も学習能力にあわせて変更されるので、私でも安心して勉学にはげめました。英語の先生がいなければ対人恐怖症もなおらず友達に恵まれる事も無かったでしょう。先生には感謝してもしきれません。理解ある環境、人がいれば、軌道修正できるのだなと思いました。三歳年上の成人も学校に入学し無事卒業していきました。あきらめなければ、人と交流すれば、助けを求めれば手をつかんでくださる方、手を差し伸べてくださる方がいるので全てを投げ出さず、悲観せずいま不登校の子供にもより良い人生を歩んでいってほしいと思います。