私はこうして不登校を解消しました。
29歳男、ドラムが大好きで不登校から復帰
平成元年生まれの男です。
家族は両親と長男(私)、長女、次男の三兄弟。
典型的な中流家庭で自身は物事への関心が強いタイプです。
小学3年生の春に体調不良が悪化して1人で病院に行った際パニックとなり、そのままズルズルと学校を休み不登校に。
以来パニック障害持ちの不登校となりました。
基本的には友達も多く、不登校になってからも毎日のように近所の友達が遊びに来てくれました。
ピークは近所のコンビニにも行けないくらい悪かったのですが、友達のおかげで4年生より保健室登校、そして6年生で復帰。
ですが、慣れない場所が苦手で中学生になると同時に再度不登校に逆戻りしました。
毎日が辛く母親もうつ病に。
自分のせいで迷惑をかけている事に申し訳ないと思うと同時に、溜まったフラストレーションで妹弟に八つ当たりする事が多く、今思うと本当に申し訳ない事をしていました。
小学校からの友達が中学での友達を呼んで毎日遊びに来てくれましたので、中学2年生で再び復帰。
不運を呪いたくなる事も多かったですが、良い友達に恵まれた事だけは今でも私の自慢です。
当時は食も細く、給食もほとんど食べられませんでしたがそれでも毎日学校に通いました。
ある時、友達に連れられ近所のゲームセンターで古びたドラムのゲームを知ってどハマり。
毎日のように通い、高校も近所にドラムのゲームがある事だけで、入学。
ドラムがやりたいから部活に入ろうと思いバンド部を見学しました。
1つのセットに対してバンドが沢山あり毎日練習出来ないと知り断念。
吹奏楽部に入りました。
メタルやロックが好きなので部の意向にはそぐわない上に譜面も読めませんでしたが、ゲームのお陰で所謂「耳コピ」が出来るようになり、ほとんど困る事がありませんでした。
部活自体は弱小でしたが、ある程度自由に練習させてもらえたので非常に楽しく過ごせました。
そして先日12年の交際を経て晴れて人生の伴侶となる妻ともここで出会えました。
高校時代は校風に合わず友達があまり出来ませんでしたが、大学に入り今度は学園祭実行委員に入ると友達が一気に増えました。
入部早々辞めてしまいバンド部とは縁の無い学生生活でしたが、小・中学と行けなかった修学旅行(のような旅行)やBBQ、飲み会と色々な経験をさせてもらいました。
今では夏になると委員の卒業生を集めて20人を超えるイベントを主催したり、定期的にキャンプをしたりと交友が続いています。
どん底だと思っていた人生ですが、世の中何があるか本当にわからないものだ、と思っています。
就活に失敗し2度の転職もありましたが、今では及ばずながらも営業職をしております。
辛い仕事ですが、子供時代に舐めた辛酸を思い出すと今の方がよっぽどマシだとすら思います。
勉強もほとんどしませんでしたし、穴ぼこだらけの私ですが、友人や妻が今のステージに上げてくれた事を考えると感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に不登校のお子さんやクラスメイトを持つ方に伝えたいのですが、親御さんには不登校でも悲観し過ぎないで欲しいと思っています。
この子がどこかで輝くステージが必ずあると思います。
その魅力を引き出すための努力をして頂きたいと思います。
友達に不登校がいる方は、当人が拒絶しないのであれば是非一緒に遊んであげてください。
私は友達のお陰で今の生活が出来ています。
ワガママな私を見捨てず面倒を見てくれた友達や妻をこれからも大事にしたいと考えています。
駄文ですが、誰かの役に立てばと思い執筆させて頂きました。