42歳女・回復のきっかけは母の理解からでした。

私が不登校だったのは今から30年も前の事です。
小学校4年生の1年間全く学校へ行けませんでした。
原因は今から考えるととても些細な事かもしれません。
当時私はとても感受性の強い子供だったので大人からしたらちょっとした事でも一大事でした。

きっかけの一つになったのは担任の先生(男性)がとても神経質な人で忘れ物をするとシールが増えるようなグラフを作成し教室の後ろの壁に貼りだす先生でした。

良い事を成績表のように貼り出すのはよくある事ですが忘れ物と言うネガティブな事をクラス全員の目に付く場所に晒すというのが子供心にはダメージでした。

自分が忘れ物をする事は少なかったのですが忘れる子は本当によく忘れ物をしますよね。他人の事とは言えなんだかいたたまれず教室が全く楽しくない嫌な場所になったのを覚えています。

担任の先生は一事が万事そんな風で規則正しく細かくチェックするのが当たり前で協調性が無い私には本当につらかったです。

追い打ちをかけたのがクラスのいじめっ子の存在でした。
その子はクラスのほぼ全員に意地悪をするような子だったのですが繊細だった私は彼の存在がとても嫌でした。

学校へ行く日の朝は「頭が痛い」とか「お腹が痛い」と母に訴える事が日課になり、泣きわめいて母に無理やり車で学校へ送られるという日々でした。

最初は母も強硬な姿勢で私を学校へ連れて行きましたが近所に住む私の先輩のお母さんから担任の先生の様子を聞いて私が訴えている事を理解したようでした。

学校へ行く事を拒否して半年たった頃、保健室の先生が「午前中に来て保健室で給食だけ食べたら?」と提案してくれました。

それから徐々に保健室へ通うようになり養護の先生とお喋りしながら自主学習という形で勉強も再開しました。
母は学校と交渉し翌年の担任といじめっ子と私のクラスを変えてくれるよう要望を出していました。

お蔭で5年生の時の担任はとても大らかな先生(男性)でいじめっ子ともクラスが別になりました。1年間登校拒否していたのでクラスメートの反応がとても気になりましたが皆優しく迎え入れてくれたのが復帰のきっかけになったと思います。

母が徐々に私の気持ちを理解してくれた事も大きな支えになったんだと年を取ってから分かりました。

現在お子さんが登校拒否をしているとか本人が学校へ行くのがイヤだなと思っている方へ今私が言えるのは学校へ行きたくないと思うならその学校へ無理して行く必要はないと思います。

最近では自分に合うペースで勉強できるスペースやNPOでも支援している場所が有りますのでそういった物を活用するのも選択肢の一つです。

無理に今までの環境へ押し込める事を考えずに活き活きと通える場所に気持ちをシフトするだけで精神的な重苦しさが減ります。

大事なのはお子さんの命と心だと思います。
その子その子に合った環境やペースで勉強する事が何より大切だと感じます。

登校拒否は本人にとっても親御さんにとっても本当に辛い事です。アプローチを変え一日でも早くこの悩みから解放されることを願っています。