50才 男 言葉を学ぶ・その土地柄を学ぶ 自分の視野も広がる  

 昔の話になりますが数ヶ月間、中学校で不登校になった経験があります。父の転勤に伴って東京から地方へ転校しましたが、方言が強い土地柄だったため、標準語を話す私は「気障だ」「生意気だ」と随分嫌われました。
 確かに「~でさぁ」という語尾は地方で聞くとどこか上から目線のように思えると今でこそ理解できるのですが、当時どう頑張っても標準語でしか話せなかった私は同級生の一部からいつしか「偉そうな奴」というレッテルを貼られ、まるで相手にされなくなってしまったのです。
 口を開けば誤解されてしまうため、話しをすることも出来ない私に救いの手を差し伸べてそばにいてくれる子もいましたが、矛先がその子にまで向くようになると、私は徐々に孤立していきました。さらには暴力によって「偉そうな奴」をひれ伏させることに快感を覚える人間も現れ、何をされてもただ黙って耐えることしか出来なかった私は学校に行くのが恐ろしくなりました。
 「担任の先生に相談する」という選択肢は、告げ口したように思われるのが嫌で、私の中には全く無かったのですが、おそらく状況を見かねた同級生が話したのでしょう。ある日、担任の先生が自宅に来ていたのを見て、それがきっかけで学校に行かなくなりました。きっと自分が話したと思われている。何されるかわからない。そんな学校に行けるはずがありませんでした。
 学校に行かなかった間、当時の私は私なりに考え、言葉が引き起こした問題は言葉で解決するしかないと、必死にその土地の方言を必死に学びました。方言を学ぶということはその土地の人間を学ぶということでもありました。キツイ言い方に聞こえても実は思いやりに溢れていたりするものです。自分も相手を誤解していたのかもしれない。当時は無理でしたが、今はそう思えます。
 幸い自宅マンションの駐車場が近所の小さな子供達の遊び場になっていて、彼らの会話をずっと聞きながら、すぐに使えそうな言葉をメモして覚えていきました。不慣れで不自然な語尾のイントネーションは「なんちゃって」と言われないように、いつも髪を切ってもらう理容師さんに直してもらいました。
 そうして数ヶ月が経った10月のある日、私は意を決して学校に戻りました。学生服の内ポケットには工作用のナイフを入れ、何かあったらすぐに職員室に行き、迷わず自分の手首を切って先生達に自分の苦痛を訴える覚悟でした。そのくらいの覚悟がなければ、私はもう二度と学校に行かなかったと思います。
 不登校の間、クラスで何があったのかはわかりませんが、久しぶりに入った教室は少し違って見えました。同級生の前で挨拶をする機会を与えられた私は、少しだけ使えるようになった方言で話し、少しだけ笑ってくれた彼らを見て、もしかしたら少しだけ受け入れてもらえたのかもしれないと感じました。こうした少しだけの積み重ねが、私には大きな変化だったのだと思います。
 その日から先は正直、あまり覚えていません。でもそれ以降、私は一日も学校を休みませんでしたし、内ポケットにナイフを入れることもなくなりました。おそらくその日が「きっかけ」だったのでしょう。
 何かが変わるきっかけをただひたすら待っているのはとても辛いことです。私は不登校の間、方言を勉強しながら、結構な量の実に様々な本を読みました。残念ながらその内容はほとんど覚えていませんが、ひとつだけ私が大好きな言葉を最後に書き添えておきます。

「寒さに震えた者ほど太陽を暖かく感じる」

あなたはきっと誰よりも優しい人になれますよ。保証します。