43才女性 環境を変えたことで、不登校から回復。自分の居場所は自分

公的機関で事務の仕事をしている40代会社員女性です。プライベートでは舞台に出演したり、街コンのスタッフをしたりと活動していましたが、昨年難病を発症し、治療のため休職中となりました。

思いがけない長い休みは学生の頃以来で、休みが長期になればなるほど世の中から取り残されていくように感じます。そんな日々で、不登校だった昔に感じた気持ちを思い出しました。

わたしが不登校になったのは、父親の転勤で九州の離島に居住していた頃です。中学校の入学と同時に転入してきた私に、島の子どもたちは「(言葉が)訛っている」ということと、山道を歩いて通学する体力がなく、父の部下に送り迎えをしてもらっていたことを、「生意気だ」という感じたようでした。

こそこそと身体的特徴を笑われたり、父の部下と私(中学生)が付き合っているなどという、あらぬ噂を学校に流されたり。狭い島の中では、妙な噂を流されるということは、それだけで村八分のような状態になるのです。
毎日逃げるように帰る日々でした。
クラスメイトの顔を見ることが恐怖で、教室の扉の前に立つと心臓が何キロも走った後のようにバクバクとなっていました。

緊張とストレスがピークになった私は、寝不足でもないのに授業中猛烈な睡魔におそわれ居眠りを多発。先生からも目をつけられるようになりました。先生の態度の冷たさに、「どうして自分は起きていられないんだろう」と悩み、コンパスやとがった鉛筆の先で何回も自分の手を刺しました。それでも、睡魔をなくすことができなかったのです。

いよいよ限界となった私は、学校にも頻繁に遅刻し、2年生の前半はほどんど不登校となりました。

悩んだ母は、市の教育委員会に相談し、教育委員会からは学校に問い合わせがきました。学校の回答は「そんな生徒はいない」

学校には、学校にとって都合の悪い生徒はいないことになるのだと、絶望を感じたのを覚えています。このときに、わたしは教職の人間が大嫌いになりました。

不登校から回復したきっかけがなんだったのか、私自身ははっきりは覚えていません。当時の記憶も、あまりにつらい時期だったからか、あいまいな部分も多いのです。ただ、毎日母が一緒にお菓子を作ってくれていたのは覚えています。学校に行きなさい、と言われたことは記憶にはありません。

最終的には再度転校し、環境を変えることで学校に行けるようになりました。

それでも、しばらくは人が怖かったことは確かです。ここでも同じような目に会うのではないかと、心のどこかでいつもビクビクしていました。どこに居ても、居ていい場所でないような。完全に回復したのは、2回目に転校した中学3年生の時の文化祭です。その時、クラスで創作演劇をしました。私もシナリオ、出演をしたのですが、その時のことはいまでもはっきり覚えています。

お芝居を見て笑うひとは、人をバカにした笑いではなく、純粋に出ている人を見て楽しんで笑ってくれる。演じている人は、どんな小さな役でも、そこに必要な理由があって、存在を許されているんです。

そういう世界を知って、今度は自分で自分の居場所を作っていこうと思ったのです。

いま、当時の自分になにか言えたら、「あなたのことを色々言う人は、うんこだと思ってればいいよ」と言ってやりたいです。うんこがあれこれ言ったって、コックをひねって流してやればいい。所詮うんこだし。

あと、一人で考えず、誰かに相談した方がいいと思う。当時の私は誰にも相談しなかったから。狭い世界にいると、その世界の中の人が言うことがすべてのような気がしてくるけど、そうじゃない。100人の普通の人の中に異常な人が1人いれば異常性はわかるけど、100人の変な人の中にひとり普通の人がいたら、その普通の人が異常とされてしまうのです。

その場所を出るまでは気づけないことだけど。だから、つらいと思ったら、全然違う世界に知り合いをつくっておいた方がいいんです。年が全然違ってもいいし、逆にそういう方がいいのかもしれない。

少なくとも、あなたが思っている以上に、あなたはそこに居ていい存在なんだってことを感じられると思います。