歳+男性+自分の生き方を変えてれば怖くない+自信が大切

現在60歳を過ぎて、長い人生の中で取り分け良く思い出されることは遠い昔の不登校の頃のことである。新聞や雑誌に、引きこもりが取り沙汰され、今苦しんでいる子ども達や親御さんの気持ちが人ごとではなく実感として伝わってくる。
私は子どもの頃から身体が弱く、学校は休みがちだった。人と一緒にいることも苦手で、自己主張はせずいつもいい子で、存在感のない子だった。
思春期になると、自分から友達を作ることが必要となった。自分から話しかけたり話を交わしながら人間関係を作るスキルがなければ、孤立していじめの対象になってしまうからである。始めは
リーダーの言うことを聞いて、仲間とも言動を合わせてなんとかこなしていたが、グループで一緒になって毎日ひとりぼっちの弱いヤツを見つけては、いじっていじめて遊ぶことに嫌気がさしてきた。ある日、これ以上一緒にいるのは無理と判断し、学校に行かなくなった。
「自分は正しい」と信じて休んではいるものの、親のショックは計り知れないもので、父親は怒鳴る・母親の泣く・・と家庭は崩壊寸前だった。けれど、意志を曲げず学校とも友人とも関わりを持たないことを貫きながら、親と距離をとり、あるときはなだめながら生活を続けていた。
その当時は、学校でも不登校になるのは全校生徒の中で1人ぐらいで、世間が気にするようなものでもなく、社会問題にもなっていなかった。前例があまりないので、学校の先生もカリカリ言うこともなく、親が病院に連れて行くこともなく、なんとなく緩い中で生活していた。
たっぷりある時間の中で、本を読んだり社会で働いている人の様子を見ながら、将来の生活を真剣に考えていった。「今の自分は現実から逃げているけれど、次の一歩は前に進めるしかないのだから、自分で決めた一歩を大きく踏み出すぞ!」そんな気持ちで、毎日何ができるか探し続けていった。
今思うと、思春期の一番楽しい時期に、学校に行かなかったことは、思い出づくりができずにとても残念だった。友人や先生達と一緒に青春を損得なくエンジョイした事は、心の財産になり、人生のつまずきの度に力をくれたに違いないのに・・。
私は、自分の力を信じて木工職人として働く道を選んだ。職人仲間は、学校時代と同じで弱いヤツをいじめる事も多々あり、学校も社会も何も変わらなかった。
けれど、その中で自分の考えは変わった。
「自分の力を精一杯磨きながら、したくない事や正しくないことはしないけれど、その中で自分は逃げることなく生きていくし、その生き方に自信も持ってる。」
不登校は、次の人生を強く歩むための準備期間だと思っている。その経験が必ず、人生の糧になる。そう信じて本人・親御さんに、未来への希望を捨てないで欲しい。